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山内マリコ『あのこは貴族』を読んで感じた、「この世界がすべてじゃない」枠の外で生きる自由

翻訳

目次

静かな気づきの3行サマリ

  • “選ばれた世界”の中にいる人ほど、不自由に見えた
  • 誰かの「正解」に合わせて生きることの息苦しさ
  • 今の自分の暮らしにある「一人であることの自由」への確信

本の概要紹介

  • 著者:山内マリコ
  • 出版年:2015年(集英社文庫)
  • ジャンル:現代小説/女性の生き方・階級・東京という都市

東京の“上流”に生まれ育った箱入り娘・華子と、地方から上京し、働きながら生き抜く美紀。
交わるはずのなかった二人が偶然出会い、それぞれの「選ばれた/選ばれなかった人生」に揺れながら、自分なりの道を模索していく。
見えない階級、女性同士の分断、都市の孤独を静かに炙り出す物語。

3つの視点で読み解く『あのこは貴族』

1. “貴族”が象徴する、閉ざされた世界の息苦しさ

登場人物・華子は一見、何不自由なく育ったように見えるけれど、
実際にはその暮らしの中に、強烈な“正しさの圧”がある。

誰と結婚すべきか、どこに住むべきか、どういうふるまいが望ましいのか。
自由に見えて、実はすべてが“選ばされている”。
その閉じた空気が私はとても苦しく感じた。

選ばれた側にも「自由はない」ということが、じわじわと伝わってくる。
それはただの階級批判ではなく、私たち全員が持つ“見えない檻”についての問いにも感じられた。

2. 女性同士の対立ではなく、連帯の可能性

華子と美紀の間に流れる空気は、最初、どこかぎこちない。
言葉にしづらい距離や“わかりあえなさ”がある。
でも、それを無理に埋めようとしないところに、この小説の誠実さがあるように思った。

ふたりが最後に交わす、短くも印象的な言葉たち。
そこには“境遇の違い”を認めたうえで、それでも何かを渡そうとする、ささやかな連帯があった。

女性同士が敵か味方かに二極化されがちな社会のなかで、
「分断を越えても、全部わかりあえるわけじゃない」という微妙な距離感がリアルだった。

3. 「私がここにいる」ことを、自分で選ぶ

読み終えて思ったのは、“世界って狭いな”という素朴な感情だった。
人は何かに所属することで安心するけど、同時に、それが世界のすべてだと錯覚してしまう。

でも、あえてそこから一歩外に出たとき、
「なんだ、こんな生き方もあったのか」と気づける瞬間がある。
それは勇気がいるけど、決して不幸ではない。

この物語を読んで私は改めて、
自分で選べる今の生活を、とても誇らしく思った。

私の暮らしが“自由”である理由

こんなふうに思える背景には、たぶん私の両親の影響が大きい。

小さな頃から、私が何かをやりたいと言っても、止められたことがない。
「なんでそんなことするの?」と詰められることもなかったし、
理由なんて聞かれた覚えもあまりない。
ただ、いつも応援してくれていた。

その“否定されない”空気の中で育ったことが、
私の思考の土台になっているのは間違いないと思う。

だから私は、
学歴も肩書きも気にせず、自分の気持ちを信じて選びながら生きている。
もちろん、すべてが順調なわけじゃない。
でも、“この暮らしを選んだ”という確かな感覚が、私を支えてくれている。

世の中には「親ガチャ」「上司ガチャ」なんて言葉もあるけれど、
私はわりと恵まれている方なんだろうと思う。
この自由が、当たり前じゃないことも、ちゃんとわかっている。

あなたに問いかけたいこと

あなたが今いる場所は、
本当にあなたが「選んだ」場所ですか?
それとも、誰かにとって都合のいい“正解”に、ただ乗っていませんか?

この小説は、そんな問いを押しつけず、
でもそっと差し出してくれるような、そんな不思議な読後感を持っていました。

ページを閉じたあと、
いつもより少し遠くを見ていたくなる。
そんな一冊でした。

Freedom begins when we start questioning the map we were handed.
― 自由は、渡された地図を疑うことから始まる。

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あのこは貴族 (集英社文庫)
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