忙しい時期ほど、自分で全部やろうとしていた。 人に頼むより、自分の手を動かした方が早い気がしていた。 周りが思うように動かないと、内心で焦っていた。 誰かに話しかけられても、頭の中ではもう次の作業のことを考えていた。
自分では、必死に頑張っているつもりだった。 これだけやっているのだから、伝わっているはずだとも思っていた。
今になって考えると、当時周囲に見えていたのは、努力ではなく、余裕のなさだったのかもしれない。
自分には努力が、周囲には緊張が見えていた
本人には、自分がどれだけ頑張っているかがはっきり見えている。 でも周りの人に最初に伝わるのは、その頑張りの量ではなく、話しかけやすいかどうか、余裕があるかどうか、という空気の方だったのかもしれない。
サボっていたわけでも、雑にやっていたわけでもなかった。むしろ必死だった。 でも必死さの方が先に伝わって、頑張っている中身の方はあまり見えていなかったのだと思う。
力を抜くことでやめたこと
力を抜くというのは、精神論として気持ちを緩めることではなく、実際にやめたことがいくつかある、という感覚に近い。
全部自分でやろうとするのをやめた。
自分がやった方が早いと感じても、あえてそこで手を止めることが増えた。
誰にでも分かってもらおうとするのもやめた。
説明を尽くしても伝わらないことはあるし、それはそれとして受け止めるようになった。
嫌われないように立ち回ることも、以前ほど気にしなくなった。
誰かの反応を細かく気にして、その都度自分の動き方を調整するようなことも減った。
一つひとつは小さなことだけど、それをやめた分だけ、自分の中に使える時間と気持ちの余裕が戻ってきた。
任せることで、人が入れる場所ができた
以前なら自分でやっていたところを、最近はその人に任せてみることが増えた。 高度な判断があったわけではなく、単純に自分が全部を抱え込むのをやめた、というだけのことだ。 以前なら自分で直していた作業を、その日は担当者に任せてみたこともある。
任せてみると、相手は自分のやり方で進める。 こちらが思っていたのと違う順番だったり、違う方法だったりすることもある。 でも手を出さずにいると、その人なりのやり方で、案外ちゃんと形になっていく。
自分が先回りして全部やってしまっていたときは、そもそも人が入り込む隙がなかったのだと思う。 手を止めたことで、初めてその場所が空いた。 全部自分でやることは、必ずしも親切ではない。場合によっては、相手がやる場所まで奪ってしまう。
今の方が物事が回りやすい理由
以前ほど焦らなくなったからか、周りの様子が見えるようになった。 誰かが無理をしていそうなときに気づけたり、問題が大きくなる前に話ができたりすることが増えた。 必死になっていたときは、目の前の作業のことしか見えていなかった。
物事が滞ったときも、以前は自分でどうにかしようとして時間がかかっていたけれど、今は誰かに聞く、任せるという選択肢が先に浮かぶようになった。 一人で抱え込む時間が減った分、単純に物事が動くスピードも変わった気がしている。
以前より何かが劇的に成功しているわけではない。 ただ、前より周りが見える。人が入ってくる余地もある。そして自分自身も前ほど疲れていない。 それだけでも、今の方がずっと物事は回りやすい。
・本人には努力が見えていても、周囲には余裕のなさが先に伝わることがある ・力を抜くと、周囲や別の解決策を見る余裕が戻ってくる ・全部を自分で背負わないことで、人が入ってくる場所も生まれる
以前なら自分で処理していたことを、今日は誰かに任せてPCを閉じた。 少し気になったが、そのまま席を離れた。
戻ってきたときには、もう終わっていた。 私が手を出さなくても、ちゃんと進む仕事もあるらしい。

