1|はじめて読んだ村上春樹は、この旅エッセイだった
実を言うと、私はずっと村上春樹を読まずにいた。
なんとなく、まわりに熱烈なファンが多くて、「信者」みたいな空気がちょっと苦手だった。
本屋でもずっと平積みにされてるし、名作扱いされすぎてて、逆にどこから入ればいいのかわからない。
近づきにくさがあった。触れたら最後、深みにハマるような感じ。
映画で言うなら、岩井俊二みたいな存在。世界観が濃くて、美しくて、でも今じゃない気がして、距離をとってしまっていた。
そんな私が初めて読んだのが、この『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』。
理由は単純で、タイトルに惹かれたからだった。
なんて、いいタイトルなんだろうと思った。
読みもせずにずっと避けてきたくせに、この言葉の並びにだけは抗えなかった。
詩みたいだなと思った。落ち着いていて、余韻があって、あたたかくて、どこか寂しい。
そういうタイトルをつける人の文章なら、読んでみたいと思った。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら(新潮文庫)
2|お酒が飲めない私が、ウィスキーに酔ったような気がした
私はお酒がまったく飲めない。
アルコールアレルギーで、ワインも、ビールも、ウィスキーも、一滴もダメ。
だから正直、ウィスキーの味も香りも知らない。飲んだことがない。
それなのに、この本を読んでいる間ずっと、酔ったような感覚があった。
スコットランドのアイラ島、それからアイルランド
土地の空気、静かな蒸留所、ガラス越しに揺れる琥珀色の液体。
ひとつひとつが、まるで音楽を聴くように、穏やかに体の中に沁みてきた。
ウィスキーって、きっと言葉と似てるのかもしれないと思った。
時間をかけて、蒸留されて、寝かされて。
すぐには伝わらないけど、深く伝わるもの。
そういう言葉が好きだと思った。
この本には、そういう言葉が、ぽつぽつと並んでいた。
強く語らないのに、やさしく心に残るような。
それがなんだか、心地よかった。
3|ふと手に取りたくなる、そんな一冊
この本は、読んだらすぐに手放すような本じゃなかった。
むしろ、ずっと持っていたいと思った。
だから私の本棚には、いつもこの本がある。
忘れているわけじゃない。
でも毎日手に取るわけでもない。
ただ、ふとしたときに「今、あの言葉が読みたいな」って思って、ページをめくる。
そんな不思議な距離感で、私とずっと一緒にいる。
忙しい日とか、少し現実から離れたいときに読むと、
ちょっとだけ空気が変わる気がする。
村上春樹の言葉って、強く主張しないのに、
気づいたらこちらの感覚のほうが変わってる。
だから気づかないうちに、心が旅に出てるようなゆるやかな気分になる。
スコットランドの蒸留所なんて、行ったこともないし、
私はそもそもお酒がまったく飲めない。
でもこの本の中にいると、不思議とウィスキーの世界に入り込める。
香りも味も知らないのに、なんとなくわかる気がする。
多分、もっとお酒に詳しかったら、もっと深く楽しめたんだろうなって思うけど……
でも飲めないなりに、ちゃんと楽しめた。
むしろ“飲めない自分”だからこそ、
この本の持つやわらかな酔いに、敏感でいられた気もする。
4|“ことばがウィスキーだったなら”という比喩が、心に残った
読んでいる間じゅう、ずっとタイトルのことを考えていた。
“もし僕らのことばがウィスキーであったなら”。
なんて詩的で、不思議な余韻を残す言葉なんだろうと思った。
ことばが、もっと深くて、ゆっくりで、
時間をかけて熟成されるようなものだったら。
誰かに届けるためだけじゃなくて、
ただなめらかに流れていって、耳の奥に残るようなものだったら。
そんなことを思いながら、ページをめくっていた。
村上春樹の文章は、言葉というより、音楽みたいだった。
意味を読み解くというより、リズムに乗って読む感覚。
まるでひとつの旋律みたいに、するすると読めてしまうのに、
読み終わったあとに、かすかな余韻だけがぽつんと残っていた。
ああ、こういう言葉をもっと読んでみたいと思った。
そんなふうに自然に思えたのは、自分でもちょっと驚きだった。
それで、次に『職業としての小説家』を読んだ。
創作について語る一冊だけど、やっぱりそこにも“音”があった。
ガチャガチャしていなくて、まっすぐで、心地よいリズムで進んでいく。
文章でありながら、音楽のような柔らかさがある。

そして『小澤征爾さんと、音楽について話をする』へ。
これはもう完全に“音楽の本”なのに、
そこにあることばもまた音楽で、
読むことと聴くことの境界が少し曖昧になるような、
不思議な読書体験だった。

きっかけはウィスキーだったけれど、
気がつけば私は「音のような言葉」と、ただそっと出会える瞬間を
どこかで待っていたのかもしれない。
それは探すというより、
たまたま耳にふれて、そっと心に沁みてくるような、
そんなセレンディピティのようなものだった。
5|ひとりでいる時間と、ことばの旅
村上春樹の旅には、いつも少しだけ孤独がある。
誰かと一緒に旅をしていても、そこに“間”がある。
それが読み手にとって、居心地がいい。
この本を読んでいると、
「誰かと一緒にいる沈黙の心地よさ」みたいなものを思い出す。
黙っていても平気な関係。話しすぎない距離。
それって、すごく特別なことなんじゃないかと思った。
ことばが音楽だとしたら、
沈黙もまた、ひとつの音なんじゃないかとすら思えてくる。
その余白を感じながら読むこの本は、まさに旅と似ていた。
遠くに行かなくても、ページのなかで心が動いていく。
そんな読書体験だった。
6|この本は、私の本棚にずっといる
読書って、たまに一期一会のような出会いがある。
一度読んで終わる本もあれば、
何度も読み返したくなる本もある。
この本は、たぶん後者だった。
派手じゃない。
でも、ふと読みたくなる。
そして読むたびに少しずつ、違うところが沁みてくる。
この先も、私はこの本を読み返すんだと思う。
たぶんまた、ふいに手に取って、
ページをめくって、
ことばにそっと酔っていくんだと思う。
7|まとめ|ことばの余韻に、耳をすませたくなったとき
旅に出られない日でも、
現実から少しだけ距離を置きたいときでも、
なんとなく、どこか遠くへ心を運びたくなることがある。
そんなとき、この本はそっと寄り添ってくれる。
まるでウィスキーみたいに、
少しだけ、胸の奥をあたためてくれるようなことばたち。
音楽のようにゆるやかに流れるリズム。
沈黙すら美しく感じさせてくれる余白。
本棚のなかの“旅先”として、
これからもこの一冊と、穏やかに過ごしていこうと思う。