静かな気づきの3行サマリ
- 守るはずだった存在が、一番の脅威だったという逆転の物語
- 怪物の恐怖の裏に潜む、永遠の孤独と飢え
- 信じたものに裏切られる感情は、私たち自身にもどこか重なる
作品情報
- 監督:マット・ベティネッリ=オルピン、タイラー・ジレット
- 公開年:2024年
- ジャンル:サバイバルホラー/ダークファンタジー
- 上映時間:約109分
「守る」という幻想から始まった物語
映画『アビゲイル』は、単なるサバイバルホラーではない。
守るはずだった少女が、実は一番恐ろしい存在だった。
この”反転”の感覚が、観る者の心をざらつかせ、深い余韻を残す映画だった。
私がこの作品を知ったのは、なんとなく観る映画を探していたとき。
映画仲間とオンラインでつなげて、Amazonプライムビデオで一緒に観た。
観終わったあとには、単なる恐怖だけではない、 どこか静かな共感のようなものが心に残っていた。
一般的な吸血鬼(ヴァンパイア)の特徴とは
『アビゲイル』を語る上で、吸血鬼という存在を軽く整理しておきたい。
■ 物理的特徴
- 血を糧に生きる
- 不老不死の存在
- 太陽光が弱点(または嫌う)
- 異常な身体能力を持つ
- 外見は人間とほぼ変わらないが、美しさを伴うことが多い
■ 精神的特徴
- 永遠に生きることで感じる虚無感、孤独感
- 他者を犠牲にしなければ生きられない宿命
- 社会に溶け込もうとするが、結局異物であることを自覚している
■ 象徴的意味
- 欲望と禁忌の象徴
- 若さと死に対する人間の恐れと憧れ
- 本能の暗い側面のメタファー
吸血鬼とは、単なる怪物ではない。
人間の中で生きる執着と”孤独”が凝縮された存在だと思う。
父の喜びという名を持った少女
アビゲイルの名前の由来は、ヘブライ語の「アビガイル」であり、
その意味は「父の喜び」だ。
けれど、この映画の中で彼女に”喜び”の片鱗はない。
アビゲイルは、家族らしき存在や従者を持ちながらも、 心の奥では孤独に生きていた。
永遠に続く飢え。
奪うことしか知らない愛情。
彼女の中に残っているのは、守られるはずだった無垢さではなく、 生き延びるために染みついた”怪物としての本能”だった。
私はそこに、ただの恐怖ではない、悲しみを感じた。
守る者が喰われる夜
誘拐犯たちは最初、アビゲイルを”守る対象”だと信じていた。
誰も、無垢な顔をした少女が、自分たちを脅かす存在だとは思っていなかった。
でも、彼らは無防備に扉を開けたわけじゃない。
アビゲイル自身が、巧妙に彼らを誘導し、”扉を開かせた”のだった。
それは、静かに仕組まれた”狩り”だった。
守る者と守られる者の関係が逆転するこの感覚は、
単なるホラー演出以上に、私たちの日常にも重なるものがある。
信じたものに裏切られる。
守ろうとした誰かに、傷つけられる。
そんな痛みを、誰もが少しずつ知っているからこそ、 この映画は胸に深く刺さるのだと思う。
100年以上を生きた孤独
もしも100年以上、いや、それ以上生きたとしたら――。
きっとどんなに楽しかった思い出も色あせ、 喜びさえも、空虚なものに変わっていく。
人は環境で作られる。
怪物もまた、孤独と時間の中で、作られていく。
アビゲイルは、生きるために、喰らうしかなかった。
喰らうことの罪深さなんて、100年以上生きなくてもわかっていたはずだ。
だからこそ、館は閉ざされ、彼女の存在は慎重に管理されていた。
そして誘拐犯たちは、無防備に扉を開けたわけではない。
アビゲイルに誘導され、必然的に開かされたのだった。
それは、静かに仕組まれた狩りだった。
誰が悪かったのか。
怪物だったのは彼女なのか。
欲に駆られた人間たちだったのか。
答えは簡単じゃない。
ただ、ひとつだけ確かに思う。
孤独と飢えは、誰の中にも、静かに潜んでいる。
そして、それは時に、予想もしなかった形で牙をむくのかもしれない。
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