「誘拐した少女は、ヴァンパイアだった」
この映画のあらすじは、とてもシンプルです。しかし、物語が進むにつれて、私はある奇妙な感覚に囚われました。
それは、少女の姿をした怪物アビゲイルへの「恐怖」ではなく、むしろ彼女の心の奥底にある、計り知れないほどの「退屈」に対する、物悲しい共感でした。
この記事は、単なるサバイバルホラーのレビューではありません。
100年以上の時を生きる怪物が本当に求めていたものは何だったのか、その魂の飢えについて、深く考察していきます。
※この記事は、映画『アビゲイル』の結末や核心に触れるネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
作品情報:ホラーの名手たちが仕掛ける、新たな恐怖
本作の監督は、『スクリーム』シリーズや『レディ・オア・ノット』で知られる制作会社レディオ・サイレンスのマット・ベティネッリ=オルピンとタイラー・ジレット。主演には『イン・ザ・ハイツ』のメリッサ・バレラや、『ザ・スイッチ』のキャスリン・ニュートンなど、新世代のホラークイーンたちが集結。
この布陣だけでも、ただのホラーで終わらない、一筋縄ではいかない物語であることが伺えます。
考察①:王道ホラーの裏にある、怪物の「退屈」という本質
物語の構造は、「閉ざされた館で、正体不明の何かに一人ずつ殺されていく」という、サバイバルホラーの王道です。私自身、このスリリングな設定が大好きで、期待に胸を膨らませていました。
しかし、物語が進むにつれて、私は気づいたのです。
このゲームのルールを本当に楽しんでいるのは、観客である私ではなく、主人公のアビゲイル自身なのではないか、と。
いや、もしかしたら、彼女は「楽しむ」ことすら、もうやめてしまったのかもしれない。
なぜなら、彼女は100年以上の時の中で、人間を狩るという刺激にすら「慣れて」しまい、ひどく退屈していたように見えたからです。
血を吸うという本能的な欲求だけでは、もう心は満たされない。
だから彼女は、今回の誘拐犯たちに「今度はもっと楽しませてよね」と、新たな刺激を期待していたのではないでしょうか。
考察②:「アビゲイル」の名前の意味と100年の孤独
では、なぜ私たちは、そんな残酷なゲームを仕掛ける彼女に、どこか共感してしまうのでしょう。
名前に隠された「父の喜び」という悲劇
彼女の名前「アビゲイル」は、「父の喜び」を意味します。しかし、劇中で彼女が誰かの「喜び」であった描写はありません。名前に込められた願いとは裏腹の、終わらない孤独。その悲しさに、私たちは心を寄せずにはいられません。
100年の孤独が生んだ「刺激への渇望」
一見素敵に見える館も、よく見ればどこか不自然で、危険な気配が漂っています。それは、100年以上も外界から閉ざされてきた、彼女の心の象徴のようです。たった一人で生きる、想像を絶する孤独。その退屈を埋めるためには、自分自身が脅かされるほどの、「予想外の刺激」が必要だったのかもしれません。
まとめ:残された「謎」と、続編への期待
この物語は、アビゲイルが誘拐犯たちを弄び、そして喰らう、というシンプルな結末を迎えます。
しかし、映画を観終えても、私たちの頭の中には、たくさんの「謎」が残ります。
- あの館の成り立ちは?
- 彼女は、これまでの長い時間を、どう生きてきたのか?
- 父親との、本当の関係は?
もしかしたら、この物語はまだ、始まったばかりなのかもしれません。
もし続編があるとしたら、私たちは、アビゲイルという怪物の、さらなる心の闇に、引きずり込まれることになるでしょう。
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