静かな気づき3行サマリ
- 誰の役にも立たないかもしれない。でも、書かずにはいられなかった言葉たちがある
- 派手ではないけれど、静かに沁みてくる孤独のかたち
- 「私だけじゃない」ことに救われる、似たもの同士の群れのような読書体験

私にとっての日曜日
私にとって日曜日は、特別な意味をもっている。
シフト制で働いている私は、日曜が休みじゃないことも多い。 でも、だからこそ感じられる日曜日の空気がある。
通勤の電車は、いつもと違って少し緩やかで、 街の空気もどこかオフモード。家族連れやカフェでのんびりする人たちの姿を見ながら、 私は仕事に向かっている。
不思議なことに、その感じが好きだ。
仕事の日なんだけど、気持ちはどこかゆるやか。 “ちゃんとしすぎなくていい”ような空気の中で働ける日曜日が、私は少しだけ好きなのかもしれない。
私だけじゃなかった、と思える読書体験
この本を手に取ったきっかけは、SNSでフォローしている方が紹介していたからだった。 なんとなく、タイトルや表紙から“好きそう”な気配がして、直感的に買ってみた。
何気なく開いたページから、私はどんどん引き込まれていった。
私は日曜日をわりと好きだと思っている。仕事の日でも、街の空気がゆるくて、少し気持ちが緩むような感じがするから。
でもふと、「みんなはどんなふうに過ごしてるんだろう?」と気になるときがある。 SNSには華やかな休日の記録があふれていて、比べるつもりはないけれど、自分の時間がどんなふうに見えるのか、ちょっと考えてしまうこともある。
そんなときに出会ったのが、『私の孤独な日曜日』だった。
読むうちに、「ああ、私だけじゃなかったんだ」と自然と思えた。 一人で過ごす日曜日の中にある、静かで特別ではない感情を、 誰かが丁寧に書き留めてくれている──そのことが、すごくうれしかった。
“誰の役にも立たないかもしれない”を許す本
この本には、有名な作家もインフルエンサーも登場しない。 書いているのは、事務職、大学院生、バリスタ、出版社の店主など、肩書きに縛られない感性をもつ17人。
でも彼らの言葉には、ハリボテのようなキラキラは一切なくて、 むき出しのまま、日曜日の”孤独”を差し出してくる。
それが逆に、ものすごく刺さる。
「何もしない。それもいい。」 「出不精の言い訳」 「布団のなかにいる」
そういうタイトルだけでも、”あ、いるんだ、私みたいな人が”と思わせてくれる。
この本のすごいところは、 “役に立つかどうか”じゃなくて、”本当の感情を書けているかどうか”で文章を選んでいるところ。
それが読み手にとってはものすごく正直で、まっすぐ響いてくる。
似たもの同士、同じ群れのなかにいた
読んでいて、何度も何度も頷いた。 感覚が近い。 孤独の輪郭が似ている。 言葉のリズムや空白にまで、”分かる”が詰まっていた。
そういう瞬間に、ふと、 「私だけじゃなかったんだ」って、身体の奥のほうで安心できる。
誰にも言えなかった気持ちが、ここでは共有されていた。
映えない孤独。誰にも見せない日曜日。 でも、それを”言葉にする力”が、この本には確かにある。
読むことで、私は、似たような群れの中にいたんだと思えた。 それは、孤独を肯定する最もやさしい方法だった。
何度でも読みたくなるのは、ここに“体温”があるから
一気に読むというより、何度も読み返す本だと思う。
今日は疲れてるからこの人の文章が読みたいな、 ちょっとだけ笑いたいからこのタイトルをめくろうかな、 そうやって、読むことが休息に近い。
最後についている”一問一答”も絶妙で、 エッセイ本文とは違う角度から、その人の背景や価値観が浮かび上がってくる。
名もなき誰かの生活が、こんなに刺さるのはなぜなんだろう。 たぶんそれは、”ちゃんと感情が宿っている文章”だからだと思う。
誰にでも、映えない日曜日はある
世の中のテンプレから少し外れた人間にとって、 この本は、ひとつの居場所になると思う。
“ひとりが好き”だけど、”孤独は苦しい”と感じる人。 “外に出たい気もするけど、布団からも出たくない”人。 “ちゃんとしなきゃ”と自分を責めがちな人。
そんな誰かがこの本を読んで、 「あ、これでいいんだ」「私だけじゃないんだ」 と少しでも心が緩むなら、それだけで意味がある気がする。
まとめ|孤独を言葉にできるということ
『私の孤独な日曜日』は、 ただ休日の過ごし方を描いたエッセイ集じゃない。
孤独に言葉を与えた17人の記録であり、 “映えないこと”を愛おしむ目線を思い出させてくれる本だ。
孤独を抱えながら、それでも誰かに静かに触れたいと思っている人に、 そっと差し出したい。

私の孤独な日曜日