もし、あなたが、心から信頼している神父様が、実は、前科を持つ”犯罪者”だったら?
2019年のアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされ、世界中の映画祭で絶賛された、ポーランド映画『聖なる犯罪者』(原題:Corpus Christi)。
この記事は、その、あまりにも衝撃的で、美しい物語が、私たちの心に何を問いかけるのかを、ネタバレありで、徹底的に考察するものです。
※この記事は、映画『聖なる犯罪者』の結末や核心に触れるネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
あらすじ:偽りの神父、魂の巡礼
殺人罪で少年院に収監されている、20歳の青年ダニエル。
彼は、院内で開かれるミサを通して、司祭(神父)になることを夢見るが、前科者には、その道は閉ざされている。
仮出所後、彼は、ふとした嘘から、ポーランドの田舎町で、新任の司祭だと勘違いされてしまう。
本物の司祭が療養で不在だったこともあり、ダニエルは、司祭服を身にまとい、偽りの神父として、説教壇に立つことになる。
型破りだが、魂のこもった彼の言葉は、ある悲劇的な事故によって、深い分断と、癒えない痛みを抱えていた、村人たちの心を、少しずつ、溶かしていく…。
主人公ダニエル:聖人か、それとも、ただの犯罪者か
この物語の核心は、主人公ダニエルの、圧倒的な存在感にあります。
少年院上がりの、粗暴な一面。
しかし、同時に、誰よりも純粋な信仰心と、人々の痛みに寄り添う、深い共感性を持つ。
「資格」や「経歴」がなくとも、ただ、魂を込めて語る言葉は、人の心を動かすことができるのか。
偽りの神父である彼が、村で行った「赦し」の儀式は、本物だったのか、偽物だったのか。
その、矛盾に満ちた、しかし、どうしようもなく魅力的なダニエルという人間に、私たちは、心を、鷲掴みにされるのです。
【深掘り考察】”悪”とされた彼が、なぜ”善”として、人を救えたのか?
この映画を観終えた後、私の頭の中には、一つの、大きな問いが、渦巻いていました。
「善」と「悪」とは、一体、何なのだろうか、と。
それは、リチャード・ドーキンスの名著『利己的な遺伝子』で語られる、壮大な問いにも、繋がっていきます。
そもそも、善悪の判断というものは、私たちが、人間社会で、円滑に生きていくために生まれた、後付けの「ルール」にすぎないのかもしれません。
もっと、大きな視点、例えば、遺伝子の視点から見れば、私たち人間なんて、ただ、遺伝子を、次の世代へと紡いでいくための「ツール」に過ぎない。その、永遠に続く、地球の摂理の前では、善悪を判断することに、何の意味もないのかもしれない。
でも、私たちは、社会の中で生きている。だから、善悪の判断は、必要になる。
だとしたら、社会から「悪」とされた、前科者の彼が、「善」の象徴である神父として、人々の心を救い、信じられた、あの状況は、一体、何だったのでしょうか。
この映画は、その、あまりにも大きく、そして、答えのない問いを、私たち、観客一人ひとりに、静かに、しかし、力強く、突きつけてくるのです。
そして、この重いテーマを、決して説教臭くしないのが、本作の、もう一つの凄さです。
シリアスな展開の中に、くすっと笑える、人間らしいユーモアが、絶妙に散りばめられている。
だからこそ、私たちは、最後まで、この偽りの神父の物語から、目が離せなくなるのです。
【処方箋】「正しさ」に、疲れてしまった、あなたへ
もし、あなたが、
- 「正しさ」とは何か、と、日々、悩んでいるなら。
- 人間の、”罪”と”赦し”という、重いテーマに、向き合いたいなら。
- ただ、一本の、魂を揺さぶる映画に、出会いたいと願っているなら。
この、偽りの神父の物語は、きっと、あなたの心に、忘れられない、聖痕のようなものを、残すはずです。
ぜひ、その目で、彼の「巡礼」の、結末を、見届けてください。
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