ふとした瞬間に、母の背中が小さく見えた。
電話越しの声が、少しだけ弱々しく聞こえた。
何度も同じ話をするようになった。
あなたにも、そんな風に、親の老いを感じる瞬間はありませんか?
それは、言葉にしづらい、切なくて、でもどこか愛おしい、複雑な感情です。
この記事は、そんな切なさを感じた私が、母との「残された時間」を大切にするために、意識的にやめたこと、そして始めたことを記録した、私自身のメモです。
特別な親孝行の話ではありません。ただ、同じように感じている誰かの、小さなヒントになれば嬉しいです。
私が「やめたこと」3選
まず、私が手放したのは、無意識のうちに抱えていた「思い込み」でした。
1. 「いつでも会える」と思うこと
一番大きな思い込みは、これでした。「実家は近いし、いつでも会える」。そう思って、連絡や帰省を後回しにしていました。でも、親が元気でいてくれる時間は、有限です。その当たり前だけど忘れがちな事実に、ちゃんと向き合うことにしました。
2. 「親はいつまでも元気で強い」という思い込み
私にとって、母はいつまでも「強くて、何でもできる人」でした。でも、そんなことはありません。年を重ねれば、できないことも増えるし、心細くもなる。その変化から目を背けず、一人の人間として、母の「今」を見るようにしました。
3. 「言わなくても分かるはず」という甘え
「家族だから、言わなくても気持ちは伝わっているはず」。これは、一番身近な人に対して抱きがちな、危険な甘えでした。感謝も、心配も、愛情も、言葉にしないと伝わらないことがある。そのことを、自分に言い聞かせました。
私が「始めたこと」3選
思い込みを手放した次に、新しく始めたささやかな習慣です。
1. 他愛ない電話やメッセージの回数を増やすこと
用事がなくても、「元気?」の一言だけでもいい。短いコミュニケーションの回数を増やすことで、お互いの「今」を、自然に共有できるようになりました。
2. 母の「昔話」を、ただ、ちゃんと聞くこと
昔は「またその話か」と、少しだけ聞き流していた母の昔話。でも、今になって改めて聞いてみると、そこには私が知らなかった母の人生や、想いが詰まっていました。ただ相槌を打って聞くだけでも、母はとても嬉しそうです。
3. 「ありがとう」を、小さなプレゼントで伝えること
「言わなくても分かるはず」という甘えをやめて、「ありがとう」を伝える。でも、近すぎるからこそ、言葉にするのが照れくさい時もあります。だから私は、美味しいアイスとか、ちょっとしたお菓子とか、小さなプレゼントを贈るようにしています。物という口実があれば、素直な気持ちも伝えやすい。近すぎる親子だからこそ、そんな「少し距離を置いた優しさ」が、ちょうど良いのかもしれません。
まとめ:特別なことでなくてもいい
親の老いを感じると、焦って「何か特別な親孝行をしなくちゃ」と考えてしまうかもしれません。
でも、私が始めたのは、そんなに大したことではありませんでした。
ただ、ほんの少しだけ、母と向き合う時間を増やすこと。
残された時間の中で、後悔しないために。
それが、今の私にできる、一番大切で、誠実なことなのだと思っています。