落ち込んでいることと、幸せを感じることは、同時にあっていい

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友達から連絡がきた。

「なんか最近ずっとやる気が出ない」「ネガティブで、なかなか戻れないんだよね」

わかるな、と思った。この記事は、そういう時期に私が実際に考えたことの記録である。

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「元気にならなきゃ」が逆に苦しくなる

ネガティブなときほど、「こんな自分はダメだ」と考えてしまう。前はもっと動けていたのに、早く元に戻らなきゃ、周りに迷惑をかけている気がする。そんなふうに、頭の中が忙しくなる。

でもたぶん、一番自分を追い詰めているのは、落ち込んでいることそのものより、「元気な自分に戻らなきゃ」という焦りの方だ。落ち込んでいる状態に、さらに「早く抜け出さなきゃいけない」という宿題が重なって、二重に苦しくなる。

自分の「ネガティブキャンペーン」について

こういう時期のことを、私は勝手に”ネガティブキャンペーン”と呼んでいる。(キャンペーンって呼ぶと、なんだか期間限定っぽくて、少し気が楽になる。)

深刻に名付けてしまうと、そこから動けなくなる気がする。だから、少し茶化した名前をつけて、自分の状態を外から眺めるようにしている。キャンペーン中の私は、別に無理に上機嫌になろうとはしない。ただ、キャンペーンの実施期間中だからといって、一日の全部がネガティブ一色だとは限らない、ということだけは、意識するようにしている。

落ち込んだ状態の中にも別の感情が混ざっている

特別な幸せを感じる必要はない。今日は晴れていて心地いいなとか、紅茶が美味しいなとか、そういう日常のちょっとしたことを、意識して味わうようにしている。

「でも今は落ち込んでいるから」と、そういう感覚まで無効にしてしまうことがある。落ち込んでいることと、紅茶が美味しいと感じることは、本来べつに矛盾しない。それなのに、「今日はダメな日」と決めた瞬間、その日の中にあった心地よさまで、まとめて「ダメな日」の中に押し込んでしまう。

やる気が出ないことと、天気が心地いいと感じることは、同じ日の中に、別々に存在している。どちらかがどちらかを打ち消す必要はない。

「幸せ=回復」ではないと気づく

ここで、ひとつ気をつけたいことがある。「小さな幸せを感じれば、元気になれる」という話にはしたくない。

紅茶が美味しいと感じたからといって、次の日には元気になっている、というわけではない。幸せを回復の手段にすると、うまくいかなかったとき、「幸せを感じてすら戻れなかった」と、また自分を追い詰めることになる。

元気になるために幸せを感じるのではなく、元気ではないままでも、幸せな瞬間があっていい。そのくらいの、あまり効果を保証しない話として、置いておきたい。

静かな気づきの3行サマリ

  • 「元気にならなきゃ」という焦りが、落ち込んでいることそのものより苦しい。
  • 落ち込んでいることと、紅茶が美味しいと感じることは、同じ日の中に矛盾せず存在する。
  • 小さな幸せは、回復の手段ではなく、それ単体であっていい。

一日を一色で決めつけなくてもいい

今日は落ち込んでいた。それでも、紅茶は美味しかった。

それなら、この一日はネガティブだけでできていたわけではない、ということになる。ネガティブキャンペーンがいつ終わるかは、正直まだわからない。終わったら終わったで、たぶんそのときに気づく程度のものだと思う。

人の感情は、一色では塗れない。今日という日も、たぶんそうだった。

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