作品情報
- 原題:Conclave
- 製作年:2024年
- 上映時間:120分
- 製作国:アメリカ・イギリス合作
- 配給:キノフィルムズ
- 劇場公開日:2025年3月20日(日本)
- 監督:エドワード・ベルガー
- 原作:ロバート・ハリス
- 出演:レイフ・ファインズ、スタンリー・トゥッチ、ジョン・リスゴー、イザベラ・ロッセリーニ ほか
- ジャンル:宗教スリラー/心理ドラマ/政治サスペンス
全世界14億人以上の信徒を持つカトリック教会。その頂点であるローマ教皇が逝去し、新たな教皇を選出する「コンクラーベ」が開かれる。密室で行われる極秘の投票、うごめく陰謀、交錯する正義と欲望。枢機卿ローレンスは、バチカンを揺るがすある秘密に触れてしまう――。
静かな気づきの3行サマリ
- 密室の静寂の中で、人間の本性と信仰の本質があぶり出される
- 「正しさ」とは何か?という問いが、思った以上に自分に向かってくる
- 祈りと政治が重なったとき、人は何を基準に“選ぶ”のか
感想|“正しさ”の名のもとに始まる排除の構造
この映画を観ながら、わたしの中にずっとあったのは「これ、どこかで見たことある」という既視感だった。
教皇という世界的なリーダーを決める重大な儀式のはずなのに、そこに漂っていたのは静かで陰湿な“攻防”だった。
野心のある者が、他者を静かに潰そうとする。 その動きに気づいた者は、黙ってはいられない。 防御のふりをした攻撃が始まり、言葉にならない空気の中で、ひとり、またひとりと排除されていく。
信仰も、祈りも、神の意志も、口では語られているけれど。 その奥にあるのは、「自分の正しさを通したい」という、むき出しのエゴだった。
これがバチカンで行われていることとは思えない。 でも、どこにでも起こっていることだとも思う。
会社でも、学校でも、グループでも── 見えないルールのなかで、気づかれないように誰かを“はずす”構造。
誰かの正義は、いつだって誰かにとっての暴力になる。 そのことを、この映画は静かに、でも鋭く描いていた。
密室の中の心理戦、その美しさと怖さ
システィーナ礼拝堂という、世界で最も神聖な空間のはずの場所。 でも、あの密室の中で起きているのは、とても人間的な駆け引きだった。
建築の荘厳さや光の美しさとは裏腹に、 そこで交わされる視線や沈黙には、戦いの匂いが漂っている。
派閥、疑念、計算。 それらすべてが“祈り”という言葉に包まれているのが、皮肉で、どこか悲しかった。
ベニテス枢機卿の存在が問いかけるもの
映画後半、新たに現れたベニテス枢機卿。 彼の“秘密”が明かされたとき、わたしは息をのんだ。
それは、この映画の核心であり、 宗教と人間の本質の“ど真ん中”にある問いだった。
「神は、わたしをこう創られた」
その言葉の前に、人間の偏見や常識はどこまでも小さく見えた。
誰かを排除する理由にされてきた“違い”が、 むしろ選ばれる理由になる可能性。
このラストに、わたしは救われた気がしたし、 同時に、わたし自身の中にある“知らずに抱いていた基準”にも静かに揺さぶられた。
おわりに|「選ぶ」ということは、誰かを排除することなのか
教皇を決めるという壮大なプロセス。 でもそこにあったのは、私たちが日々経験しているような、人と人の“目に見えない力のやりとり”だった。
正しさとはなにか。 信じるとはどういうことか。 選ぶとは、誰を選ばないと決めることなのか。
この映画がくれた問いは、 宗教や信仰だけでなく、わたしたちの暮らしの中にも確かにある問いだった。