【内省】メンタルは「ある日突然」壊れるのではない。不自然な”無敵感”という麻痺のサインについて

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境界線のない、心の波

メンタルの不調というものは、「今日から病んでいます」とはっきりした線引きができるものではありません。
じわじわと忍び寄り、波のように寄せては返す。昨日は穏やかだったのに、今日はどうしても立ち上がれない。そんな不安定なグラデーションの中に、私たちは生きています。

最近、深く考えさせられたことがあります。
それは、メンタルが落ちる直前、私たちは一瞬「無敵」になったような錯覚に陥ることがある、ということです。


不自然なほど「ちゃんとしている」無敵期

「無敵」を感じている時、意外にも生活そのものは乱れません。むしろ、やるべきことをこなし、日々を「ちゃんと」送っています。だからこそ、自分の異変に気づくのは至難の業です。

自分は強い、嫌われても怖くない、孤独さえも感じない。悲しくないし、傷つくこともない。そう思っている自分に、何の疑いも抱きません。まさか、自分の心の中で「傷つく」「悲しむ」といった大切な機能が麻痺しているとは、夢にも思わないのです。

けれど、この「感情の一色化」こそが、心が限界を超えて感覚をシャットダウンしているサインでした。「これ以上傷つきたくない」という防衛本能が、痛みを感じるセンサーを麻痺させ、不自然な強さを捏造していたのです。


三つの歪みが交差する場所

今振り返ると、あの「無敵」の正体は、性質の異なる三つの力が一点でぶつかり合って起きた、摩擦熱のようなものでした。

一つ目は、社会という虚構の中の同調です。
利己的な遺伝子が生き残るために作り上げた、道徳やルールといった集団の引力。そこからはみ出すことを許さない無言の圧力に、知らず知らずのうちに自分を合わせていました。

二つ目は、自分自身の個の麻痺です。
これは、人生を揺るがすような大きなショックを受けた時に起こります。あまりにも大きな出来事なのに、「案外大丈夫だ」「自分は平気だ」と感じてしまう。その瞬間の強烈な麻痺が、省エネ運転のために感情の色彩を奪ってしまうのです。

そして三つ目が、同調に抗う謎の無敵感です。
大きな傷を負いながらも、社会の論理に対し、麻痺した心が一矢報いようとするかのように「強さ」を演じる。この「無敵感」こそが、個としての自分を保とうとする、最後の、そして危うい抵抗だったのかもしれません。

自分でも無理をしている自覚がありながら、引き戻せない状況にある。
それは、この三つの力が激しく衝突し、自分でも制御できない火花を散らしていたからなのです。


「忘れたふり」が限界を迎えるとき

この「無敵」の状態は、1年、あるいは2年と長く続くことがあります。
決して忘れたわけではありません。心にはずっと、その傷がある。ただ、あまりにも重すぎて直視できないから、「見ないように、忘れたように」生きてきただけなのです。

そうして「忘れたふり」を続けてきた代償は、ある時、決定的なズレとなって現れます。
少しずつ、その鎧の隙間から、隠していた脆さが溢れ出し始めます。
仕事が終わった瞬間、自分でも驚くほど涙が溢れて止まらなくなったり、「無になりたい」「誰とも、社会とも関わりたくない」という切実な願いが頭を支配したりするようになります。

「あの強かった自分はおかしかったのではないか?」と自分を疑い、必死に症状を調べ始めるのも、この時期です。
これらは、長らく麻痺させていた感情が、ようやく自分を取り戻そうとして起こす、時間差の「拒絶反応」なのです。


⚠️ 生活に現れる、隠せない「限界」のサイン

心がどれほど長く「忘れたふり」をして無敵を演じ続けようとしても、生活という目に見える形では、体は正直に警笛を鳴らし始めます。

  • 眠れない日が続く
    それは数日程度の不眠ではなく、年単位で続くこともあります。体は疲れているはずなのに、脳だけが異常な覚醒を続けてしまいます。
  • 食が乱れる
    自炊が習慣だった人でも、急にそれができなくなります。買ってきたものや外食ばかりが増えていくのは、栄養を摂ることよりも「準備する気力」が削がれている証拠です。
  • 休日は無気力になり、回復に時間がかかる
    単純な体力の消耗ではありません。心が疲弊しきっているため、一日中寝ていても、次の日の活力が湧いてこないのです。
  • 部屋が乱れてくる
    生活の基盤を整えることは、自分を大切にすること。その余裕がなくなるほど、心の余白が失われている状態です。

結論:麻痺のあとに訪れるもの

ずっと「喜」や「怒」だけが続くのは、自然なことではありません。苦しみがあるからこそ楽を感じ、悲しみがあるからこそ喜びを知る。そんな感情のコントラストがあることこそが、心が生きている証拠です。

もし、今の自分が不自然に強すぎると感じたり、あるいはその反動で生活が崩れ始めていると感じるなら。
それは、社会の虚構や遺伝子の戦略の中で、あなたの命が「本来の自分」に戻ろうとしているサインです。

「ちゃんとやれている自分」という仮面を一度置いて、静かに鳴っている心の悲鳴を聴いてあげてください。
立ち止まることは、負けではありません。それは、再び鮮やかな色彩を持った自分を取り戻すための、最初の一歩なのです。

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