本当に久しぶりに、人間って面白いなと思う映画を観た。
『逆転のトライアングル』
美しさ、富、立場。 それらが当たり前のように存在している世界が、ある出来事をきっかけに、一気に崩れていく。
そのとき人は、どんなふうに変わるのか。そんなことを、静かに、でも容赦なく見せてくる映画だった。
解説・あらすじ
本作は、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』などで知られるスウェーデンのリューベン・オストルンド監督による作品。人間の関係性や空気を、少し意地悪なくらいリアルに切り取るのが特徴で、今回もその視点がかなり強く出ていた。
テーマは、ファッション業界やルッキズム、そして現代の階級社会。2022年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞している。
物語は、モデルでインフルエンサーのヤヤと、人気が落ち気味のモデル・カールのカップルから始まる。2人は豪華客船クルーズに招待され、富裕層に囲まれた非日常の世界へ。
ここまでは、よくある「格差のある世界」の話に見える。でもこの映画は、そこからが本番だった。
船が難破し、無人島でのサバイバル生活が始まる。そしてそこで生まれるのは、これまでとはまったく違うヒエラルキー。私には、ここからこの映画が何を見せたいのかが、少しずつはっきりしてきた。
※ここからネタバレあります。できれば、何も知らずに観るのがおすすめ。それでも読みたい人だけ、ここから先へ。
最初の喧嘩は、ただの喧嘩じゃない
映画は、ヤヤとカール、カップルの喧嘩から始まる。一見すると、よくある男女の言い合い。少しぐだぐだしていて、正直ちょっとうるさい男だなとも思う。
でも見ていくうちに気づく。これは単なる恋人同士の喧嘩ではなくて、「立場」と「役割」の話。男は、男が払うべきなのか、それとも対等であるべきなのか、その間で揺れている。
つまりここで既に、お金と関係性のヒエラルキーが描かれている。この時点で、すでに伏線になっているのが面白い。
価値の基準が変わると、頂点に立つ人も変わる
無人島に流れ着いてから、この映画は一気に本質を見せてくる。
豪華客船では、お金や社会的地位、ブランドといったものが、分かりやすい価値として機能していた。それに加えて、見た目や若さといったものも、お金とは別の形で価値として成立していた。
でも無人島では、その優先順位がそっくり入れ替わる。火を起こせること、食料を確保できること、生き延びる力があること。そういった「生きるための能力」が、そのまま価値になる。
ただ、これは全員が対等になったということではなかった。価値を決める物差しが変わっただけで、それまで一番下にいた人間が、今度は頂点に立つ。ヒエラルキーがなくなったわけではなく、誰がその上に立つかが入れ替わっただけだった。言い換えれば、人そのものの価値が変わったというより、その環境で「何が価値として通用するか」が入れ替わった、ということなのだと思う。
関係性も、簡単にひっくり返る
さらに面白いのは、人間関係の力学まで入れ替わることだった。
豪華客船では、男の方が不安定で、ヤキモチを妬いていた。でも無人島では逆になる。価値の基準が変わった瞬間に、今度は女の方が不安になり、関係性の力関係が丸ごと入れ替わる。この変化が、すごくリアルだった。
無人島で頂点に立ったのが、船の清掃員だったアビゲイルだったことも、この力関係に大きく影響している。これが男性の乗組員だったら、また違う話になっていたはずだ。
魅力ではなく「有利さ」で選ばれる関係
一番印象的だったのはここだ。
豪華客船で若く美しいモデルと付き合っていたカールが、無人島では清掃員だったアビゲイルのそばに移っていく。
ここだけ切り取ると奇妙に見える。でも無人島では、彼女が「生きる力」を持っている=頂点にいる。
そしてこれは、最初のカップルの喧嘩とも繋がっている気がした。ヤヤは言う。「将来、子どもができて働けなくなったとき、養っていけるかどうかを見るためにも、支払う能力を見ている」。一見すると現実的な話だけど、同時にこれは、その人が“自分にとって価値があるかどうか”を見ている視点でもある。
無人島ではそれがさらに分かりやすくなる。食料を確保できる人、生きる力を持っている人と一緒にいることが、そのまま「生き延びる確率」に繋がる。カールの場合は、若さや容姿そのものが、交換できる価値になっていた。
この映画を観ていると、人間関係の中に元々混ざっている“利”のようなものが、環境が変わったことで露骨に見えるようになっただけなのかもしれない、と思えてくる。恋愛や人間関係のすべてがそうだ、とまでは言い切れないけれど、この映画が見せてくる生々しさには、そう思わせるだけの説得力があった。
人は「利用される側」を嫌いながら、「利用する側」になる
もう一つ、かなり皮肉だなと思ったのがここだった。
序盤でカールは、「自分が利用されている気がする」と不満を漏らしていた。お金を払うことや、関係性の中での役割に対して、どこか納得していない様子だった。
でも無人島に行った瞬間、状況は逆転する。彼は「愛している」と言っていたヤヤから離れ、アビゲイルのそばへ移っていく。
これを見ていて思ったのは、カールは“利用される側”でいることは嫌がっていたのに、“利用する側”になることには、驚くほどためらいがなかったということだ。もちろん、これが人間全員に当てはまるとは思わない。ただ、少なくとも彼の中では、そうだった。
ただ、これは単純な反転でもない気がする。無人島でのカールは、アビゲイルとの関係によって食料や寝る場所といった恩恵を得ながら、自分の若さや容姿を、いわば差し出せるものとして使ってもいた。一方のアビゲイルも、自分が握っている資源を使いながら、カールの若さや魅力を求めていたように見える。だとすると、カールが一方的に“利用する側”に回ったというより、お互いがお互いを利用し合っていて、どちらがどちらを利用しているのか、だんだん境界が分からなくなってくる。
そしてもっと面白いのは、彼自身の人間性が変わったというより、状況が変わったことで、選ぶ答えが変わっただけという点だ。お金がある世界では「対等でいたい」と言い、お金がない世界では「生きるために選ぶ」。カールを見ていると、価値観や愛情さえ、状況の影響を強く受けるように見えた。
綺麗に言えば裏切り。でも構造で見ると、その環境での“合理的な選択”をしただけとも言える。
このあたりの描き方がすごくリアルで、「人ってこうだよね」と思ってしまう自分もいて、少しだけ嫌な気持ちになる。でもたぶん、それがこの映画の狙いなんだと思う。
権力は、入れ替わっただけだった
無人島で頂点に立ったアビゲイルを見て、最初は単純に「やっと正当に評価される人が出てきた」と思っていた。
でも、見ているうちに、それだけでは済まない気持ちになってくる。彼女はサバイバル能力によって力を持つと、今度は食料の配分を握るようになる。誰にどれだけ分け与えるか、誰を側に置くかを、彼女自身が決める側に回っていく。
つまりこれは、「みんなが平等になった」という話ではなかった。権力を持つ人物が、入れ替わっただけだった。
これまで下の立場にいた人が、上に立った瞬間に、同じように振る舞う。それを見ていて、ふと考えてしまった。人は、権力を持たない側にいるときには、不公平さに敏感になれる。でも、自分がその力を持つ側に回ったとき、同じように公平でいられるんだろうか。
価値の物差しは変わっても
この映画を通して感じたのは、価値も、関係性も、すべて固定されていないということだった。それでも、物差しが変わったからといって、人間が平等になるわけではない。人はただ、新しい上下関係を作っていただけだった。
静かな気づき
・価値を決める物差しは、環境が変われば簡単に入れ替わる。
・ヒエラルキーが壊れたように見えても、人はまた別のヒエラルキーを作る。
・自分が弱い側にいるときの正しさを、強い側になっても持てるのかは分からない。
観たあとも残った問い
観終わったあとも、しばらく頭から離れなかったのは、「自分ならこの無人島で何ができるだろう」という考えだった。
そしてもうひとつ。もし自分があの島で力を持つ側に回ったとしたら、同じように、誰かの取り分を決める側に立ってしまうんだろうか。
答えは、正直まだ出ていない。

