何も言わずに去る人の中で、何が起きているのか
正直に書いておくと、私は何も言わずに去るほうの人間だ。冷たいと思われても仕方がない。ただ、その沈黙の内側で何が起きているのかを、一度きちんとほどいておきたい。
関係は一人では続けられない
シンプルなルールがある、と思っている。
人と人の関係は、一人では成り立たない。私は、どちらか一方が「もう無理だ」と感じた時点で、その関係はかなり終わりに近づいていると思っている。相手がまだ続けたいと思っていても、こちら側の椅子はもう空になっている。
だから、そこから先の話し合いには、あまり意味がないと感じてしまう。終わったことを、終わっていないことにする作業になるからだ。
去ることが決まっているとき、私はもう説明をしない。音を立てずに、速やかに、離れる。
相手が納得する理由であろうと、そうでなかろうと、決定は変わらない。急に連絡が取れなくなること、それ自体が答えなのだと思っている。
この選択には理由がある。
話し合いが、隙になるとき
言葉を交わすと、隙が生まれる。
説得されて、気持ちが揺らぐ。自分を抑えれば続けられるのではないか、と思ってしまう。悪い関係だとわかっているのに、話し合いの中で「もう一度だけ」と引き戻される。
その隙を、相手にも自分にも与えたくない。
言い争いになることもある。言い訳が返ってくることもある。相手にとって都合のいい解釈で、こちらの言葉が塗り替えられることもある。そうなると、伝えたかったことは何も残らない。
関係の空気の変化を、すでに感じ取っている相手もいる。一方で、言葉を尽くしても、こちらの実感とは違う形で受け取られることもある。説明したからといって、認識が一致するとは限らない。
だから沈黙を選ぶ——長いあいだ、私はそう説明してきた。自分を守るための、合理的な判断として。
けれど、それは半分しか本当ではなかった。
逆転:言葉を残そうとして、人を傷つけた
以前、きちんと言葉にしようとしたことがある。
相手は、本当に素晴らしい人だった。誠実で、優しくて、責められるところなんて何ひとつない。それでも私は、この関係を続けられないと感じていた。
そこで困ったことが起きた。理由が、どこにも見当たらないのだ。
相手に落ち度がないのに、離れたい。その説明を言葉にしようとすると、人は理由を探しはじめる。相手の中に、無理な原因を探してしまう。そして見つからないから、こじつける。
結果として口から出てきたのは、相手を傷つける言葉ばかりだった。
本当は「あなたが悪いわけではない」と言いたかった。でも、それを言うと今度は理由が消えて、去る根拠がなくなる。だから、相手を悪者にするしかなかった。
そのとき知った。理由のない別れを言葉にしようとすると、言葉は凶器になる。
私が沈黙を選ぶようになったのは、冷たくなったからではない。言葉を残そうとして、人を深く傷つけた記憶があるからだ。沈黙は、言葉を持たないことではなかった。
「続けたい」と言われても、頷けなかった
その人は、それでも続けたいと言ってくれた。
嬉しかった。同時に、苦しかった。
続けることは、できたと思う。自分の感覚に蓋をして、笑って、また会えばいい。相手はきっと喜んだだろう。
でも、それは相手に対して失礼だと思った。心のない相手と続けることを、その人に強いることになるからだ。そして何より、そうやって自分を偽り続ける自分を、私は好きになれなかった。
「続けたい」という言葉に、私は頷けなかった。
ただ黙って、そこから離れた。あのとき返せる言葉を、ひとつも持っていなかった。
そして、去られたこともある
ここまで読むと、いつも自分が去る側のように見えるかもしれない。
でも、去られたこともある。ある日から連絡が返ってこなくなって、それきりになった関係が、私にもある。
そういうとき、私は理由を追わない。
自分が去る側の心理を知っているからだ。あちら側にも、言葉にできない何かがあったのだろうと想像がつく。だから追いかけないし、問い詰めない。心の中で、静かにお別れをする。
悲しくないわけではない。寂しくないわけでもない。それでも、仕方のないことなのだと思う。
相手がもう続けたいと思っていないなら、自分の希望だけで関係を続けさせることはできない。私はそう考えるようにしている。誰と関わり、誰と会うかは、それぞれの自由のはずだから。
去る自由があるなら、去られる覚悟もいる。私は同じルールを、自分にも適用するようにしている。
「もう連絡してこないで」「OK」で終われる関係
この感覚を共有できる相手とは、驚くほどあっさり終われる。
かつて、こんなやりとりで終わった関係があった。
「もう連絡してこないで」 「OK」
それだけだった。責めもしないし、引き止めもしない。理由も聞かない。相手がそう言っているのだから、それ以上でもそれ以下でもない。
冷たいやりとりに見えるかもしれない。でも私は、この終わり方を今でも比較的誠実だったと思っている。
お互いに、相手の決定を尊重している。関係が終わることを、悲劇にも事件にもしない。ただ、そういう時期が来たのだと認める。
こういう終わり方ができる相手とは、そもそも関係の途中も心地よかった気がする。
3行サマリ
・私は、どちらかが無理だと感じた時点で、その関係はかなり終わりに近いと思っている
・沈黙を選ぶのは冷たさではなく、理由のない別れを言葉にすると、言葉が凶器になると知ったから
・去る自由があるなら、去られる覚悟もいる。私はそのルールを自分にも当てはめている
まとめ
沈黙が正しい選択かどうか、私にはわからない。
私の場合、何も言わずに去るとき、言葉を持っていないわけではない。むしろ、出てくる言葉が相手を傷つけるものしかなかった経験がある。理由がないのに離れたいとき、説明はどうしても誰かを悪者にしてしまうから。
相手に空白を残すことの重さは、わかっている。理由も告げずに消えることが、相手を宙ぶらりんにすることも、わかっている。それでも、説明のために相手を悪者にしてしまうくらいなら、言葉を置かずに去ることを選んでしまうときがある。
それが正しいのか、ただの逃げなのか、まだ判断できずにいる。
窓の外で、夕方の光が少しずつ薄くなっていく。あのとき渡せなかった言葉は、今も渡せないままそこにある。たぶん、これからも渡さない。
それでも、去った人も、去っていった人も、どこかで元気でいてくれたらいいと、静かに思っている。

