自分を変えたい、と思うとき。
その気持ちの奥に、こんな声が潜んでいないだろうか。「今までの自分は、間違っていた」。変わりたいという願いが、いつのまにか、過去の自分を否定することとくっついている。
でも、本当にそうだろうか。変わることは、過去の自分を裏切ることなのだろうか。うまく言葉にできなかったこの感覚を、自分のためにほどいてみたい。
「性格の悪い自分」を、消したかった
少し前まで、過去の自分を思い出すと、恥ずかしくなった。
余裕がなくて、いっぱいいっぱいで、言葉が乱暴になっていた。人の気持ちを考える前に、動いてしまっていた。しかも、そのあとのフォローもしなかった。今振り返ると、なかなかの性格の悪さだと思う。
だから、変わらなきゃ、と思った。あの自分を消して、もっといい自分になろう、と。
でも、そのときの「変わる」は、どこか苦しかった。過去の自分を欠陥品みたいに扱って、罰するように、上書きしようとしていたからだ。
否定から始まる変化は、なぜか続かない
やってみて、気づいたことがある。
過去の自分を否定して変わろうとすると、うまくいかない。
「あんな自分はダメだ」と自分を責めながら進もうとすると、変化そのものが、自分への罰になってしまう。罰は苦しい。苦しいことは、長く続かない。だから、否定を燃料にした変化は、どこかで息切れする。
変わりたいのに変われないとき、その理由は意志の弱さではないのかもしれない。過去の自分を敵にしたまま、変わろうとしているからなのかもしれない。
では、どうすればよかったのか。
逆転:あの自分がいたから、気づけた
見方を変えたら、すべてがひっくり返った。
性格の悪かった過去の自分は、消すべき欠点ではなかった。あれがあったから、気づけたのだ。
乱暴な言い方をして、人を傷つけて、フォローもしなかった。その経験があったから、「このやり方では苦しくなる」と知ることができた。もしあの自分がいなかったら、今の気づきもなかった。
過去の自分は、間違っていたのではない。その時の事情の中で、精一杯やっていた。余裕がなかっただけだ。そして、そのやり方が苦しいと教えてくれたのも、その自分だった。
つまり、過去の自分は、今の自分に気づきを手渡してくれていた。否定すべき相手ではなく、バトンを運んできてくれた存在だった。
そう捉え直したとき、変わることが、急に軽くなった。過去を罰するためではなく、これからをより良くするために変わる。同じ「変わる」でも、まるで違う。
あの頃の自分に、かけたい言葉
もし、あの頃の自分に声をかけられるなら。
責めるでも、慰めるでもなく、こう言いたい。
「無理しないで。ゆったりやっても、大丈夫だよ」
あの乱暴さは、余裕のなさから来ていた。いっぱいいっぱいで、必死で、肩に力が入りすぎていた。だから、あの自分に必要だったのは、叱責ではなく、力を抜いていいという許可だったのだと思う。
今の私は、それを知っている。あの頃の自分が苦しみながら教えてくれたから。
3行サマリ
- 「変わりたい」の奥には「過去の自分は間違っていた」という否定が潜んでいることがある
- でも過去の自分を敵にしたまま変わろうとすると、変化が罰になり、続かない
- 過去の自分は間違いではなく、気づきを運んでくれた存在。変わることは否定ではなく、バトンの持ち替え
まとめ:バトンを、少し持ち替えるだけ
変わることは、過去の自分への裏切りではない。
あの頃の自分は、その時の事情の中で、ベストを尽くしていた。ただ、そのやり方では苦しくなることも、身をもって教えてくれた。だから今の自分は、過去を罰するためではなく、これからをより良くするために、変わっていく。
それは、否定でも上書きでもない。
過去の自分が握りしめて、ここまで運んできてくれたバトン。それを、今の自分が少し持ち替えるだけだ。走者は同じ。ただ、握り方を変える。それだけで、走りやすくなることがある。
窓の外で、朝の光が少しずつ強くなっていく。昔の自分も、今の自分も、同じ道をつないで走ってきた。その連続の上に、これからの自分がいる。
無理しないで。ゆったりやっても、大丈夫だから。

