やり返さないのは、負けではない

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以前は、嫌なことをされたら何か返さないと、自分だけ損をしたような気がしていた。何も言わなかったら、負けたと思われる気がした。だから頭の中では、いつも次の一手を考えていた。何を言い返そうか。どう出し抜こうか。相手はどんな反応をするだろうか。

でも最近、それこそ相手に時間を使いすぎているのではないかと思うようになった。

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「やり返したい」は、自然な衝動

嫌なことをされたとき、やり返したいと思うこと自体は、ごく自然な反応だと思う。それを我慢しろとか、心を広く持てとか、そういう話をしたいわけではない。問題は、その衝動のままに、相手を傷つけ返すことを目的にした行動に出るかどうかだ。

嫌いな相手に勝つために、一日中その人のことを考え、何を返すか考え、相手の反応まで気にしているとしたら、それはもう、かなりの時間をその人に渡してしまっていることになる。やり返さないというのは、相手を許すためでも、聖人になるためでもない。自分の時間と注意を、相手から取り戻すためのものだと、今は思っている。

「やり返さない」と「何もしない」は別物

ここは誤解されたくない部分だ。報復しないことと、我慢することは、まったく別の話だ。

嫌なことをされたら、「それは嫌です」「やめてください」「その対応には同意できません」と言っていい。必要なら上司や第三者に相談していいし、社内の制度を使ってもいい。距離を取ってもいい。ここで否定したいのは、そうした自衛や抗議ではなく、相手を傷つけ返すこと自体が目的になっている「報復」のほうだ。必要なことを言うのをやめる必要はまったくない。

なぜ、嫌いな相手との勝敗を重要にしてしまうのか

嫌いな相手に勝つことばかり考えていると、気づかないうちに、その相手を自分の世界の中心に置いてしまっている。本来なら気にしなくていいはずの人に、自分の一日のかなりの部分を明け渡していることになる。負けたくない、舐められたくない、という気持ちが強いほど、皮肉なことに、その相手のことを一番よく考えている時間が長くなっていく。

環境そのものを変えるという選択

やられたらやり返さなければ舐められる。弱みを見せたら負ける。そういうルールで回っている場所に、自分をずっと置き続ける必要はあるのかと、最近は考える。いつも誰かに勝ち続けなければいけない場所を、自分の居場所にし続けるかどうかは、選べることだと思う。

これは逃げるという話ではなく、自分がどのゲームに参加するかを選ぶ、という話に近い。やられたらやり返さないといけないような環境からは、サクッと変えるのがベストだと、今は素直にそう思っている。

3行サマリ

・やり返したいという衝動は自然だが、それに従うことと、自分を守ることは別
・必要なことを言うのはやめなくていい。やめたいのは、相手を傷つけ返すこと自体が目的になった報復
・嫌いな相手に勝つことより、その相手を考えなくて済む時間を増やすほうが、自分にとって大事かもしれない

ある夜のこと

嫌なことをされた日、家に帰ってからも、しばらく頭の中で言い返す言葉を組み立てていた。

今日は、それを一旦やめて、お茶を淹れることにした。
別のことをしながら過ごしていたら、数時間後、ふと気づいた。あの人のことを、まったく考えていなかった。

勝った、というのとは少し違う感覚だった。ただ、自分のところに戻ってきたような、そんな感じがした。

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