相手のことが嫌いなわけではない。むしろ、大切な人だと思っている場合の方が多い。
それでも、その人と会ったあと、妙に疲れていることがある。
最初は、相手の性格の問題だと思っていた。 でも少し経ってから、違う見方をするようになった。
「この人といるときの私は、毎回しっかりしている」
まずそこに気づくところから、この話を始めたい。
しっかりすることが、関係を支える役になっていた
相手が迷えば、決める。 困っていれば、一緒に考える。 落ち込んでいれば、励ます。 話がまとまらなければ、整理する。
それ自体は、たいしたことではないように思える。むしろ、役に立てているならいいことのはずだ。
でも、それを何度も繰り返しているうちに、
「私がしっかりする」 「相手が頼る」
という役割が、少しずつ固定されていく。 誰かが決めたわけでもないのに、行動を重ねるうちに、「この人はしっかりしている人」「この人は頼る人」という関係のかたちができあがっていく。
私が弱ったとき、この関係はどうなるのか
普段は自分が支える側だとしても、こちらにも、疲れている日や、判断できない日、落ち込んでいる日、何も考えたくない日はある。
そういうとき、相手は支える側に回れるのだろうか。
それとも、
「あなたはしっかりしているから大丈夫」 「あなたならできるよね」
という前提の方が変わらず、自分が弱る余地そのものが、そもそもないのだろうか。
毎回、同じだけ支え合う必要はないと思う。 大事なのは、割合ではなく、「役割を入れ替える余地があるかどうか」の方だ。
必要とされているのは、私なのか、役割なのか
これが、この記事でいちばん考えたかったことだ。
もし自分が、決めない、教えない、整理しない、励まさない、先回りしない、という状態になったとき、それでも相手は自分と一緒にいたいと思うのだろうか。
相手が私自身を大切に思っていなかった、ということではないと思う。ただ、その関係の中で「私が問題を解決すること」「私がしっかりしていること」の比重が、大きくなりすぎていた場合はあるのかもしれない。
役割の比重が大きくなりすぎると、その役を降りたときに、関係の方が揺らいでしまう。 もちろん、決めつけられることではないと思う。ただ、自分の関係をいくつか思い浮かべたとき、そういうこともあるのかもしれない、とは思う。
私も、その役を引き受けてきた
ここまで書くと、相手ばかりが悪いように見えるかもしれないけれど、そういうことでもない。
自分の方にも、理由はあった。 自分がやった方が早い。頼られるのは嫌ではない。役に立てるのはうれしい。相手が困っているのを見ると、放っておけない。決める方が得意。
最初から、これを苦痛だと思っていたわけではなかった。 できるからやる。得意だからやる。それだけの、自然な行動だったはずだ。
それが、いつの間にか、「自分がやる前提」に変わっていく。 自分が引き受け続けたことも、その役割ができあがった理由の一つだったのだと思う。
今日は私もちょっと分からない、と言える相手
一方で、一緒にいて楽な人もいる。
自分が全部決めなくてもいい。分からない、と言ってもいい。今日は話を聞いてほしい、と言える。少し頼ってもいい。弱っていても、その関係のバランスが崩れない。
そういう相手といるときは、しっかりしている私でなくても、その関係の中に居場所がある気がする。 それだけのことなのだけど、それだけのことが、実はけっこう大きいのかもしれない。
相性は、「どの自分でいないと続かないか」でも決まる
相性というと、趣味が合うか、価値観が合うか、会話が合うか、性格が合うか、というあたりを考えることが多い。
でも、それとは別に、「その人といるとき、自分はどんな自分でいないと関係が維持できないか」も、相性の一部なのではないかと思うようになった。
毎回強くいなければならない。毎回しっかりしていなければならない。毎回聞き役でいなければならない。
そういう関係は、相手がどれだけ良い人であっても、続けるうちにどこかで疲れてしまうことがある。
おわりに
私は、しっかりした人でいること自体が嫌なわけではない。 たぶん、しっかりしている自分でなければ成立しない関係の方が、少し難しいのだと思う。
「私が何も決められない日にも、この人とは一緒にいられるだろうか」
その問いだけを、ここに置いておこうと思う。
3行サマリ
・しっかりしていること自体が問題なのではない
・自分が担い続けることで初めて成り立つ関係は、続けるうちに消耗しやすい
・弱った自分にも役割を交代できる関係の方が、少なくとも私には楽だ
ある夜
いつものように、相手から相談のメッセージが届く。 スマホを開いて、すぐに返そうとして、少し手を止める。
今日は、自分もそんなに元気がない。
いつもなら整理して返すところを、今日は、
「今日は私もちょっと分からない」
とだけ送ってみる。
既読がつくのを見ながら、 これでも普通に話せるなら、それでいいのかもしれない、と思う。

