人の部屋に入ったとき、なぜこの棚はここにあるのだろう、と考えてしまったことはないだろうか。そして、その問いを自分の部屋に向けたことは。
最近の部屋づくりのなかで、少しずつ見えてきた自分の選び方を、ここに書き留めておきたい。
迷わなかった本棚と、そこから決まっていったもの
天井まで届く白い本棚が、窓の横に立っている。背表紙がびっしり並んで、部屋のどこにいても視界のどこかに本がある。
この本棚を買ったとき、置き場所だけは迷わなかった。部屋の真ん中に置きたい。本が好きで、大きな本棚をいつも眺めていたかったからだ。
そこから、ほかの家具の位置が決まっていった。本棚を中心に、丸テーブルが、ブルーの棚が、赤茶色のラグが、それぞれの場所に落ち着いていった。まず一つ、譲れないものが置かれて、残りはそれとの関係で決まっていく。部屋の中心に何を置くかは、生活の中心に何を置きたいかと、どこかでつながっているのかもしれない。
振り返ってみると、私はすべての選択で迷っているわけではなかった。本棚の場所のように、考えるより先に決まっているものがある。一方で、ラグや棚の色のように、何度も比べて、行ったり来たりしながら決めたものもある。
そしてもう一つ、どちらにも入らないものがある。動かすのが大変な家具は、最初に置いた場所に、そのまま収まっている。迷わず決めた配置と、迷って決めた配置と、迷う前に決まってしまった配置。同じ部屋のなかに、判断の仕方の違うものが並んでいる。
こだわる場所と、こだわらない場所
部屋のすべてに、同じだけの熱量を注いでいるわけではない。
本棚やブルーの棚のまわりには、何日も考える。一方で、キッチン周辺は、まだほとんど手をつけていない。使いやすさを重視していて、それに、あまり料理をしないからだと思う。
書いてみると、キッチンは「どうでもいい場所」ではない。見た目より使いやすさという、別の基準で選ばれている場所なのだ。時間をかける場所と、かけない場所の差は、そのまま暮らしの重心がどこにあるかの差でもある。
人の価値観は、こだわっている場所だけでなく、こだわっていない場所にも表れるのかもしれない。ただ、それは後回しにしているという判断でもあって、この先ずっと同じとは限らない。
あれも違う、これも違う
部屋は、ヨーロッパのヴィンテージや、六十年代から七十年代のモダニズム、インダストリアルな雰囲気に近づけたいと思っている。それでも、部屋にある物が一つのスタイルにきれいに揃っているわけではない。ブルーのスチールの棚、白い本棚、赤茶色のラグ。色も素材もばらばらだ。
一つひとつは、思いつきをAIに相談しながら決めてきた。あれも違う、これも違う、と繰り返しているうちに、決まっていった。
いま振り返ると、決めたのはAIではなかったのだと思う。提案を見て「違う」と感じるたびに、私は自分が何を選びたくないのかを、少しずつ確かめていたのかもしれない。好きなものは、最初から言葉になっているとは限らない。違うものを目の前に並べてもらって、初めて輪郭が見えてくることもある。
その途中で、気持ちの向きが変わっていった。整った部屋より、私らしい尖りや美学や癖を出したくなってきた。だから、無難にまとまるような色や物は、選ばないようにした。
統一感と好きなもののあいだで迷っているのだと思っていた。でも実際には、無難にまとめることそのものを、私は選択肢から外していたのだと思う。
何を選ぶかより前に、何を候補に入れないか。そこにも、判断の跡が残る。ばらばらに見える色は、失敗した統一ではなく、統一よりも優先したものの跡なのかもしれない。
好きなものを迎えると、判断が始まる
ブルーの棚は、設置したときからワクワクしていた。お気に入りの棚が来たのだから、これでひとつ落ち着くと思っていた。
ところが、置いてみたら、今度はそこに何を置くかにこだわり始めた。どうやって並べるかも、すごく考えるようになった。
好きなものを一つ迎えると、判断が終わるのではなく、新しい判断が始まる。ひとつの条件が変われば、まわりの見え方も変わる。部屋を整えることは、一度正解を決める作業ではなく、条件が変わるたびに考え直す作業なのだと思う。
座椅子のように使っていたクッションや、今の美学に合わなくなった折りたたみのテーブルを手放すことにしたのも、その考え直しの途中で起きたことだ。前の判断が間違っていたのではなく、条件が変わっただけなのだと思う。
そして私は、その考え直す時間を、けっこう楽しんでいる。
部屋を見るだけで、人がわかるわけではない
ここまで書いてきて、思う。部屋から見えるのは、その人のすべてではない。住まいの広さや予算、賃貸の制約、誰かと暮らしているかどうかで、部屋のかたちはいくらでも変わる。
私の部屋にも、動かすのが大変だからそこにある家具と、まだ手が回っていないキッチンがある。外から見ただけでは、どれが選んだ結果で、どれが選ばなかった結果なのか、きっとわからない。部屋にある物のすべてが、積極的に選ばれた結果とは限らないのだ。
だから、部屋を見れば人がわかる、とは思わない。ただ、なぜこれがここにあるのだろうと、選択の理由を想像してみることは、少し面白い。
部屋を見ると、その人の思考が見えてくる
最初から迷わなかった本棚。後回しにしているキッチン。あれも違う、これも違うを繰り返して、無難を外して選んだ色。置いてから、並べ方をずっと考えているブルーの棚。
同じ部屋のなかで、判断の仕方はひとつではなかった。即決したもの、比べ続けたもの、候補にすら入れなかったもの、まだ順番が来ていないもの。部屋に残っているのは、選んだ結果だけではなく、どういう順番で考えてきたかの跡なのだと思う。
それが、いまの私の部屋なのかもしれない。
静かな気づきの3行サマリ
迷わず決まったものと、比べ続けて決めたものが、同じ部屋に並んでいた。
何を選ぶかより前に、何を候補に入れないかにも、判断の跡が残る。
好きなものを迎えると、判断は終わるのではなく、新しく始まる。
まだ途中の部屋
丸テーブルに座って、部屋を見渡す。
窓の横には、背表紙の詰まった白い本棚。足もとには赤茶色のラグ。視界の端に、ブルーの棚。
お気に入りの配置のはずなのに、ブルーの棚に目が止まると、並べ方をもう少し変えてみたくなる。その奥には、まだ順番の来ないキッチンがある。
ここを変えたら、どうなるだろう。そう考え始めた時点で、この部屋はまた少し動き出している。

