あの人といると、なぜか疲れる。
そう感じたとき、真っ先に相手の性格を分析し始める。
話が長い、否定的、頼りすぎる。
でも最近、それだけでは説明のつかない疲れ方があることに気づいた。
人間関係には、いつの間にか「役」ができる
誰かから正式に、あなたは今日から相談役です、と任命されるわけではない。それなのに、「あなたってしっかりしてるよね」「あなたなら分かると思って」「私はこういうの苦手だから」といった、ほんの小さな言葉の積み重ねで、いつの間にか役ができていく。相手が困ったとき、毎回こちらに来る。こちらがいつも問題を整理する。こちらが毎回決断する。そういう行動の繰り返しが、正式な任命よりずっと強く、役割を固定していく。
「弱い人」が「強い人」を作ることがある
ある人が「私は弱い」「私はこういうことが苦手」「あなたはそれができるから強い」と、自分の位置を決める。本人はただ、自分について話しているだけかもしれない。それでも、私は弱いという位置が置かれることで、相対的に相手が強いという位置に置かれることがある。弱い人と強い人、頼る人と頼られる人、話す人と受け止める人。そういう役割が、知らないうちに二人の間に生まれる。
弱音を吐くこと自体を否定したいわけではない。私自身も弱ることがあるし、相手によっては人を頼ることもある。問題にしたいのは、「私は弱い」と言うことそのものではなく、その自己認識によって、相手までもが自動的に強い側に配置されてしまうことのほうだ。
「分からない人」が「教える人」を作ることもある
別の場面もある。自分から必要なことを言わない。どうしたらいいか分からない。自分からは動かない。そういう人がいると、もう一人が、説明する、教える、仕組みを作る、先回りする、という役割を担うようになる。
最初は「私がやったほうが早いから」「困っているみたいだから」という理由でやっている。それでも繰り返すうちに、相手は教えてもらう人、自分は教える人、という関係性が固定されていく。すると相手に悪意がなくても、この人といるとまた私が考えなければならない、また私が調整しなければならない、という疲れが生まれてくる。
相手から何かを奪われているわけではないのに、疲れる
こういう疲れを、分かりやすい言葉で説明したくなる。でも実際には、相手が意図的に何かを奪っているとは限らない。相手は単純に、話を聞いてほしい、教えてほしい、頼りたい、と思っているだけかもしれない。それでも、提供するものが一方向に偏り続ければ、負担はどちらか一方に積もっていく。相手を悪い人と決めつけるより、この関係では誰が何を提供しているのか、その配分のほうを見てみたい。
私も、その役を引き受けている
ここを、相手の批判だけで終わらせたくない。人間関係の役割は、相手から一方的に押しつけられるだけではない。「私がやったほうが早い」「私はこれが得意だから」「相手が困っているから」「断るほどのことでもない」。そうやって、こちら側も何度もその役を引き受けてきた。
最初の頃は、頼られること自体が嫌だったわけではない。自分が役に立てている感覚もあったし、得意なことで誰かを助けられるのは、悪い気分ではなかった。だから続けた。そして何度も引き受けることで、この人に頼めばやってくれる、という期待を、相手に学習させてしまっている場合もある。相手が役割を期待する。自分が引き受ける。相手がさらに期待する。自分もその役を続ける。気づけば、できるからやる、だったはずのものが、私がやる前提、に変わっていた。この循環がある限り、「なぜこの人は私をこんな役にするのか」だけでなく、「私はいつから、この役を引き受けるようになったのだろう」という問いも、同じくらい必要になる。
その人が嫌なのか、その人といる自分が嫌なのか
「あの人といると疲れる」「あの人とは合わない」と思ったとき、相手の性格ばかり分析してしまう。でも視点を変えて、この人といるとき、私は何をしているだろう、と考えてみる。いつも聞いている。いつも励ましている。いつも教えている。いつも決めている。いつも相手の機嫌を読んでいる。もし特定の人との間で、毎回同じ自分になっているとしたら、疲れているのは相手そのものより、その役割のほうなのかもしれない。
何役にもならなくていい相手
反対に、一緒にいて楽な人のことも考えてみる。楽な人とは、必ずしも優しい人や話の合う人だけではない。強い人にならなくていい。弱い人にならなくていい。聞き役にならなくていい。教えなくていい。今日は自分が頼ることもできるし、別の日には相手を支えることもできる。その日の状態によって、役割が自由に入れ替わる。そういう関係が、「一緒にいて楽」という感覚を作っているのだと思う。
大切なのは50:50ではなく、役割を入れ替えられること
人間関係は、毎回きっちり同じ量を与え合うものではない。誰かが弱っている時期には、もう一人が多く支えることもある。仕事では、経験のある人が新人に多く教えることもある。それ自体は、問題ではない。問題なのは、役割が固定されて、それを変更できなくなることだ。少なくとも私は、今日は頼る側、別の日には支える側、というふうに役割を入れ替えられる関係のほうが楽だと感じる。
その役を降りたら、その関係はどうなるのか
いつも相談を聞いていた人が、聞くのをやめる。いつも教えていた人が、教えるのをやめる。いつも自分から連絡していた人が、連絡するのをやめる。そのときにも関係が続くなら、それは役割を超えた関係なのかもしれない。反対に、役を降りた途端に関係が成立しなくなるなら、その人は私と関係していたのか、それとも私が提供していた役割と関係していたのか。まだ、その答えは持っていない。
3行サマリ
・人間関係の疲れは、相手そのものより、その人といるときの役割に対する疲れであることがある
・役割は相手から押しつけられるだけでなく、自分も何度も引き受けてきたものでもある
・役を降りても続く関係かどうかは、その役割を外してみないと分からない
ある夜のこと
今日もまた、誰かの話を最後まで聞き、整理して、答えを出してあげた。家に着いてから、ふと思った。この人といるとき、私はいつも同じ役をやっている。その役を、私は本当にやりたいのだろうか。役を降りても、この人と一緒にいたいと思うだろうか。答えは出ないまま、電気を消した。

