自分軸で生きてるつもりが、実は他人軸だった話

翻訳

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人にどう思われてもいい。そう言い切れる自分を、本当の自分軸だと思っていませんか。

私はずっと、自分は自分軸で生きていると信じていた。人に合わせず、好きに振る舞い、評価なんて気にしない。そう思っていた。けれど、あるとき気づいてしまった。その「気にしない」の奥にこそ、いちばん濃い他人軸が隠れていたことに。これは、その落とし穴を覗き込んだ、私の記録のようなものです。

目次

「気にしない」と言いながら、気にしていた

口では、人にどう思われてもいいと言っていた。

実際、私はどんどん嫌われるような言動をとっていた。周りに合わせることを拒んで、角の立つことも平気で口にして、評価から自由な人間のように振る舞っていた。傍から見れば、他人の目なんて一切気にしない、強い人に見えていたかもしれない。

けれど、本当のところはまるで逆だった。人から言われたことは、いちいち気になった。結局は評価の範囲の中で動いていたし、その枠から出られていなかった。「どう思われてもいい」と宣言しながら、その宣言を守るために、自分を壊すほど無理をしていた。言葉と実態が、真逆だったのだ。

宣言が強ければ強いほど、それは裏返しだった。本当にどうでもいいなら、わざわざ「気にしない」と口に出す必要すらない。

わざと嫌われにいくことも、他人軸だった

もっと奥を覗くと、さらに苦い事実があった。

私が嫌われるような言動をとっていたこと。それ自体が、実は他人を強く意識した反応だったのだ。本当に他人の評価がどうでもいい人は、嫌われる言動をとる必要がない。無関心なら、ただ静かにしている。わざわざ壁を作って角を立てるのは、それだけ他人の視線を意識しているからにほかならない。

つまりそれは、自分を守るための鎧だった。先に嫌われておけば、傷つけられる前に距離を作れる。評価される前に、評価の土俵から降りたふりができる。けれどそれは、他人軸から自由になったのではなく、他人軸に別の形で縛られていただけだった。人の目を気にしないふりもまた、人の目を強く気にする行為の一種だったのだ。

その鎧を着ていた頃、私の内側はいつも消耗していた。周りのすべてが敵に見えた。同じ質問や説明を何度も繰り返す日々に、ただ疲れていた。しかも、その「強さ」すら、都合よく利用されているのを感じていた。いつも矢面に立たされている。それでも、自分がやらなければ誰もやらない——そんな責任感で、その場所から降りることもできなかった。強さを装いながら、その強さごと消費されていく。逃げ場は、どこにもなかった。

立ち止まって、はじめて見えたもの

限界は、静かにやってきた。

結局、私は自分を壊してしまった。本当はこんな自分が嫌だった。周りのすべてが嫌になった。そうして、動くことをやめた。何もしない、誰とも比べない、ただ自分を見つめるだけの時間に入った。

その静けさの中で、ようやく奥が見えた。周りなんてどうでもいいと嫌われにいっていたあの言動は、自分軸でも強さでもなかった。それは、自己否定の果てだったのだ。自分で自分を認められないから、いっそ他人にも認められなくていいと、評価の仕組みごと壊しにいっていた。自分を大切にできない人間が、自分を守ろうとして、結局いちばん自分を傷つける方法を選んでいた。

すべては、自己否定の連続の上で起きていた。自分を肯定できていれば、嫌われにいく必要も、強がる必要も、そもそもなかったのだ。

自分軸とは、最後の一票を自分に戻すこと

ここまでたどって、ようやく腑に落ちたことがある。

自分軸とは、人の目を気にしないことではなかった。ましてや、嫌われにいくことでもなかった。人の評価を気にしてもいい。言われたことに揺れてもいい。それでも、最後の判断だけは、自分の手に戻す。気にしたうえで、それでも自分で選ぶ。それが、本当の自分軸だった。

他人を無視することとは、まるで違う。むしろ、他人の声もちゃんと聞こえている。ただ、その声に判断そのものを明け渡さない。最終的な一票を、他人ではなく自分が持っている。その一点だけが、自分軸と他人軸を分けていた。

そして、その一票を自分に戻すためには、土台がいる。自分を否定するのをやめること。自分を、まず肯定すること。自己肯定という地面がなければ、どれだけ「自分で決めよう」としても、判断はまた他人の評価へと流れていってしまう。自分軸は、強さの上ではなく、自分を許すことの上に立っていた。

自分軸とは「人の目を気にしないこと」ではなく、気にしたとしても最後は自分で選ぶこと。わざと嫌われにいくことすら他人軸の一種で、その正体は自己否定だった。自分軸は、自分を肯定するという土台の上にしか立たない。

まとめ

今でも、揺れる。

人から言われた一言が、いまだに胸に残る日もある。評価が気になって、心がぐらつくこともある。自分軸を完全に手に入れた、なんてとても言えない。

それでも、以前とは違う。揺れたあとに、少しずつ自分に戻れるようになった。他人の声を聞きながら、最後の一票だけは、そっと自分の手に握り直す。その握り直す感覚を、前より覚えていられるようになった。

窓の外は、いつもと変わらない夜だ。けれど、その夜を眺めている自分の目だけは、少しだけ、自分のものになった気がしている。

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