集中力を鍛えるより、集中できる場所へ移動する

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家で過ごすのは好きだ。それなのに、本を読むときだけは、わざわざ家を出る。

自分でも、少し矛盾している気がしていた。この記事は、その理由を考えてみた記録である。

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自宅は快適すぎて、本以外の選択肢が多い

家には、本を読む以外にやれることが山ほどある。PCも、スマホも、YouTubeも、家事も、昼寝も、その他ついやりたくなることも、全部そこにある。

本を開いても、気がつけばYouTubeを見たり、スマホを触ったりしている。本を読むつもりだったのに、なんとなく別のことをして時間だけが過ぎていた――そういう日は、正直少なくなかった。

自由で快適な家は、必ずしも読書に集中できる場所ではない。選択肢が多すぎることが、むしろ一つのことに向かう力を弱めてしまう。

カフェへ本を持って出かけるようになった

だから、本を持ってカフェに行くようになった。

カフェに向かう道を歩いている間、家でできたはずのことが、選択肢から一つずつ外れていく。PCも、家事も、昼寝も、そこには持っていけない。カフェに着く頃には、もう本を開く以外にあまりやることがない状態になっている。

歩く時間そのものに、大した意味があるわけではないと思う。ただ、その時間の分だけ、家でできることが物理的に手の届かない場所に置いていかれる。

自分に合うカフェの条件と、17〜20時の読書時間

カフェで読書をするのは、月に1〜2回くらい。平日の休みの日、17時から20時くらいの時間帯を選んでいる。

混雑する昼を避けているのは、単純に、落ち着いて座っていられる時間帯だからだ。行くカフェにも、いくつか条件がある。混みすぎていないこと、騒がしすぎないこと、程よいざわめきがあること、駅から少し歩く距離にあること、飲食が自分の好みに合うこと。どれも、静かさを求めているというより、余計な気配りをせずに座っていられるかどうかの基準に近い。あまりに混んでいると、席や時間を気にしてしまって、本どころではなくなる。

読みたい小説やエッセイを持っていって、席についたら注文する。お腹が空いていれば、パスタやケーキも頼む。それだけの手順を終えると、もう他にやることがない。

なぜカフェでは2〜3時間読めるのか

パスタを頼んで、本を開く。次に顔を上げると、もう外は暗くなっている。2〜3時間が、あっという間に過ぎている。

家では同じようにいかなかった時間が、カフェではなぜか自然に流れる。理由は、たぶん単純だ。カフェでは、できることが最初から限られている。本を持って出かけ、飲み物や食事を注文し、席に座る。そこから先、選べる行動があまり残っていない。だから、意志の力を使わなくても、本を読み続けていられる。

家で読めないのは、私の集中力が足りないからではなく、家に選択肢が多すぎるからだったのかもしれない。

集中力を鍛えるより、集中できる環境へ移動するという発見

集中できないとき、つい「自分の集中力が足りない」と考えてしまう。でも、私の場合はそうではなかった。

急に集中力そのものが強くなったわけではない。家では読めない自分は、今もそのままだ。ただ、読むしかない場所まで自分を連れていけば、普通に読める。自分を変えようとするより、場所を変える方が早いことも、たぶんある。

窓の外の空が、17時の明るさから、20時の暗さに変わっている。本を閉じて席を立つ頃には、来たときとは違う色の街を歩くことになる。

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