「評価しない」ではなく「評価を全体像だと思わない」

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映画に星をつけることに、以前からずっと違和感がある。

★5でも★3でもいい。数字をつけた瞬間、その映画を観ている間に自分の中を通り過ぎていったものが、一つの記号に収まってしまう気がする。この記事は、その違和感を掘り下げてみた記録である。

目次

★3にした瞬間、複雑な感情が圧縮される

特定の一本というより、これまで観てきたほとんどの映画に対して、同じような感覚を持ってきた。だから私は、映画に星をつけない。その代わり、自分の率直な意見は持つようにしている。

観たことを話すことはあっても、それがそのまま「好き」「嫌い」の二択になるわけではない。ある部分にはがっかりして、別の部分には強く残るものがあって、それでいてその作品自体を否定する気にはならない。そもそも、一本の映画を完成させて、それでお金が発生するものを作ったという事実だけで、私にとっては敬意の対象になる。

星の数は、こういう入り組んだ状態を、外から見てわかりやすい形に変換してくれる。便利なことは間違いない。参考にする人も多いと思う。ただ、その便利さは、感動の深さや心の揺れそのものを測っているわけではない。誰かの主観を、扱いやすいサイズに切り分けているだけだ。

人事評価も同じ構造なのではないか

同じ圧縮は、会社の人事評価にも起きている。

正直、評価のために頑張りたいとは思っていない。自分の成長とか、やりがいとか、楽しさとか、そういうものを優先したい気持ちの方が強い。でも、組織の中にいると、そうはいかない場面がある。人事評価を受けるたびに、「自分は組織の一員で、会社に雇われているんだ」ということを、いやでも強く意識させられる。

自分の中では「自分軸」で動いているつもりでも、評価という仕組みの前では、いったん「他人軸」に立たされる。一年間の働き方が、A・B・Cのようなランクや数字に置き換えられる瞬間、そこには他人軸への切り替えを強いられる苦しさがある。

評価は便利だが、必ず何かを削る

星評価も、人事評価も、否定したいわけではない。何かを短く共有するためには、こういう仕組みが必要な場面が実際にある。

ただ、圧縮には必ず、こぼれ落ちるものがある。一年間の仕事には、数字に出なかった働きや、誰かを助けていた時間や、失敗したけれど後につながった経験や、調子が悪かった時期が含まれている。それらは、最終的なランクの中には残らない。映画も同じで、途中の退屈さや、共感できなかった部分や、最後の一場面だけ忘れられなかったという偏りは、星の数には反映されない。

評価が悪いのではなく、評価は「何かを残して、何かを削る」という作業そのものなのだと思う。問題は、削られた部分がなかったことにされてしまうことだ。

評価されるのが嫌なのに、自分も人を判断しているという矛盾

評価されるのが苦しいなら、誰かを評価する側にもなりたくない。そう思う気持ちは、今もある。

でも、それは簡単な話でもない。「この人はすごいな」「この人はちょっと苦手だな」というような判断は、意識していなくても、自分の中で日常的に起きている。映画についても同じで、観れば必ず何かしらの感想や好みが生まれる。評価しないでいようと思っても、判断そのものを止めることはできない。

だとすると、「評価しないこと」と「判断しないこと」は、そもそも同じではないのかもしれない。

「評価しない」ではなく「評価を全体像だと思わない」

判断は、たぶん人間が生きている限り、自然に生まれてしまうものだ。星をつけなくても、この映画は好きだ、あの映画はそこまでではなかった、という感覚は残る。人事評価をなくしたところで、誰かをすごいと思ったり、苦手だと感じたりすることは、なくならないと思う。

問題は、判断すること自体ではなく、一度下した評価を、その人や作品の全体像だと思い込んでしまうことの方にある。★3をつけたその映画は、★3という情報以外にも、無数の部分を持っている。Bランクをつけられたその一年も、Bという文字の外側に、Bには入らなかった働きがちゃんとあった。

静かな気づきの3行サマリ

  • 星評価も人事評価も、複雑なものを扱いやすい形に圧縮する仕組みだ。
  • 圧縮は便利だが、必ず何かをこぼす。こぼれた部分がなかったことにされるのが問題だ。
  • 「評価しない」ことはできなくても、「評価を全体像だと思わない」ことはできる。

数字からこぼれたものを忘れない

評価はなくならないし、なくなればいいとも思わない。星も、ランクも、便利な道具として、これからも使われ続けると思う。

ただ、その数字が対象のすべてではないということだけは、忘れたくない。★3をつけた瞬間、その映画から何かがこぼれ落ちている。Bをつけられた瞬間、その一年から何かがこぼれ落ちている。こぼれたものの方を、なかったことにしたくないだけだ。

測ることと、測り切れることは、別の話だと思う。

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